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萩原恭次郎詩集

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<ぬくもり>

<ぬくもり>


俺達の話がすむまでこつそり何処かにしやがんでゐたおばあさんは


話が終ると早速煤けた台所から大きな鍋や古びた膳や茶碗を持ち出してご馳走して呉れた
おばあさんは誰の話にも口を入れて一人の孫の悪戯やくせやおばあさんを感心させてしまつた事を
また生ひ立ちの暮らしについて 隣り近所の暮らしについて話さなければゐられなかつた
一口毎に引合いに出される孫について その孫は顔を赤らめ 俺達は苦笑せずによろこんだ

おばあさん
貧乏人が貧乏人を その儘に一生を死んで行つた子供を幾人か育てあげたしなびた両乳の底にある
皺は寄り 白髪が生えようがその下に 頭を持ち上げて来る熱い血の動きがある そのうづき
その血は?
俺達の身体にある血も それ その血は飯が食へないと云うばかりであらうか──
俺達はそれについておばあさんには何も語らず無口者でゐるが血が歩かせてゐるのだ

たとひ一昨夜は友と別れてから一里もある学校の裁縫室にむぐり そのままねむり
目が醒めてみれば冷たい雨
早い子供は一人二人やつて来てゐて背負つてる本包みから芋の匂ひをさせてゐた
俺達は吹きつける雨の中を何里をこれから歩かうと
俺達の血は何を求めて熊笹を分け桑畑道を縫ひ なほも歩きたいのか
おばあさん
昨夜家中の布団をおばあさんに引つかけてもらつた俺達
苔の生えた裏赤城の山腹にあるちつぽけな百姓家に別れ
今日四里半の道を下る──達者でゐて下さい
バツタ 赤トンボ だんだら畑の粟 タバコの葉 ぽつんぽつんの藁屋 材木運び
栗拾ひの子供 稲刈りの田圃 馬 光る鎌
それらの底は 何がつきぬいて何が動かせてゐるからか
だが生きぬく道は一切を万人が万人の手で──これは言葉でない俺達の生活だ

最後の夜 俺達は沼田に帰り当分の別れをした
明日から互ひにまた十里 五里 三十里と別れねばならぬ
俺達の胸は自然とグンと反つた
俺達は冗談をとばし乍ら抱き合つて寝た
それらの手や足や 熱いぬくもりは 恋人や母親や女房や子供のそれとはまた別な
力強く自分の血と同じに感じさせる肉体がそこにありぬくもりがあつたのだ。
by hagiwarakyoujiro3 | 2011-06-11 08:12
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